• 掲載日:2020.07.21
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福岡市を拠点に営業・活動する「移動スナック アポロ号」



福岡市を拠点に営業・活動する「移動スナック アポロ号」

小型のバスをマイクロバスと言う。以前はライトバスと言った。
つまり本来は一般名詞なのだが、オールドカー愛好家たちにとってのライトバスとは、これをおいてほかにない。

 

もっとも「らしい」クルマ

このところマツダ車の評判がいい。とにかくデザインが素晴らしいと新橋のガード下からさえ聞こえてくる。確かに街でアクセラなんかの後ろ姿を見ると「おっ、外車か?」とか「えっ、欧米か?」などと思ってしまう。今のクルマもさることながら「昔のマツダはこんなもんじゃなかった」。
昔というのは1960年代。オート三輪のTシリーズやK360を世に問うたときからぶっ飛んでいた。なにせオート三輪に当時気鋭の工業デザイナー、小杉二郎を起用し、トラックデザインの教本から外れた曲面構成のキャビンを量産化しそれを全国に行き渡らせた。その後の乗用車でも小杉二郎は腕をふるい、先に紹介したキャロルやR360クーペといった名車を送り出している。
小杉作品に限らず、’60年代のマツダ車は個性的で進歩的だった。ロータリーエンジンを実用市販化したことを見ても、デザインのみならずメカニズムの点でも時代を先取りしていたとわかる。なぜそこまでしたのか、という理由として「戦前のオート三輪メーカーのイメージを払底したかったからだ」という説がある。
しかし小杉二郎はそのオート三輪時代から起用されているのだから、とにかくクルマというものに、過剰なほど夢を与えたかったのではないかと思う。そうでなければあんなクルマやこんなクルマを作るわけがない。
なかでもこのライトバスは弾けている。これが今から50年以上も前に販売されたバスだと信じられるだろうか。時間軸の違う未来からやってきてようだ。たががマイクロバスに、マツダは一体なにを託そうとしたのか。
マツダは13歳で鍛冶屋の丁稚からスタートした職工、松田重次郎が1906年に十と つぼ坪の牛小屋を借りて起業した「松田
製作所」が起源である。その2年後には松田式喞ポ ンプ筒を発明、事業を拡大するとともに地元コルクメーカーを立て直す。
1931年に三輪トラック第一号を販売。
戦後はダイハツとともに三輪トラック界をリードし、’55年にドイツのNSU社と提携してバンケル式ロータリーエンジンを研究開発。’60年、R360クーペで乗用車に参入した7年後にロータリーエンジン搭載のコスモスポーツを発売する。
これによって軽、スポーツカー、トラック、マイクロバスとフルラインアップが完成。その一翼を担っていたのがライトバスだったのである。
ライトバスは昔から「ロケットバス」と呼ばれていた。誰が言い出したのかは不明だが、そのスタイルと、コスモスポーツからの連想かもしれない。コスモスポーツのデビューはライトバスの2年遅れだが、’64年のモーターショーでは揃ってプロトタイプが展示された。

 

 



アポロ号はブルースカイという福岡市のプランニング会社で所有

フリーランスのデザイナー、カメラマン、スーパーニートなどが企画立案したプロジェクトとして「移動スナック」を立ち上げ、その飲み仲間が「こんなクルマが売りに出ている」とライトバス(ディーゼル車)を購入。昨年5月から鳥飼八幡宮で営業開始した。6月には九州北部豪雨の被災地に出張し、被災者支援に奔走した。唐人町の馬頭観世音祭にも参加するなど地域密着型でもある。



アポロ号は働き者 走るラウンジ

 

今も人気者のマツダ・ライトバス。その現役車両を福岡に取材した。その名もアポロ号。なんと〝動くスナック〟として働いているのである。持ち主は個人ではなくブルースカイという会社。ホームページを見るとその社是? に「リスクを取る企画屋 生涯の仲間との出会い、シビれる体験やりまくる」とある。なるほど、確かにライトバスはシビれるクルマに違いない。

いただいた資料では昭和45年式(1970年)とあるが、ナンバープレートは1969。どちらにせよ50年近く昔のマイクロバスであることには変わりなく、いかにこのスタイルが未来を先取りしていかがたわかる。むむ、「三菱石油」のロゴに見覚えが?



同社広報担当のマツオシゲコさんによると、2012年設立のブルースカイは各方面でさまざまな仕事をしている方たちが、本業とは別にイベント、店舗、飲食店などのプロジェクトを協同して立ち上げ、運営しているのだという。その事業にひとつが、「移動式スナック アポロ号」というわけだ。

もともと同社で企画運営している立ち飲み屋などがあり、その二次会で行けるスナックが欲しいという常連客のリクエストに応えたものだった。ただ、普通の店舗では面白くない。自然災害が増えた昨今、復興支援や防災の役にも立つような拠点にしたい。そこで移動式スナックはどうかというアイデアが提案され、飲み仲間のひとりが「いいバスがある」とディーゼルエンジンの’70年式マツダ・ライトバスを見つけてきた。

昨年5月から鳥飼八幡宮で営業開始。6月には九州北部豪雨の被災地に出張し、被災者支援に奔走した。唐人町の馬頭観世音祭にも参加している。さきに説明したように、スタッフはアポロ号の専属というわけではなく、他に仕事を持っている。これはママも同じだ。



今回、ライトバスの企画に合わせて2010年に取材したマツダ車コレクター、山田康視さんの車両写真も掲載させていただいた。

今もそのほとんどをお持ちとのことである。

山田さんは広島県の中部にある府中市上下町でタクシー会社を営む。マツダ車が大好きでファミリア、ルーチェだけでも30台ほど集めた。

ことにファミリアのコレクションは驚くべきもので、’63年の800バン、’64年の800ワゴン、’67年の1000ワゴンなどレアモデルもお持ちである。

「スポーツカーは残るが大衆車は残らない」が口癖で、このほかにもB360やボンゴといった商用車にも造詣が深い。

もちろんライトバスも大好きでコレクションにはAタイプ(ロケットバス)、Cタイプの2台を収めている。
’71年から始めたレンタカー業で初めて入れたマイクロバスがA型だったので、愛着もひとしおだ。

レンタカーの車両は1年で手放してしまったが10年ほどしてまた乗ってみたくなり、長野の採石場で事務所になっていたバスをサルベージし、A型が製造された岐阜の岩戸工業でレストアした。

幸運なことに岩戸工業にはライトバスの図面とわずかだが部品も残っていた。

さらに当時の製造現場にいた職人も協力してくれたことで、名実ともにファクトリーレストレーションが行われたのである。

ただその工程である部品の図面がないことが判明した。バスの助手席前方に装着される金網だ。岩戸工業のOBいわく、

ライトバスはAタイプもCタイプもフロントウインドーがボディ下方まであるため、スカートで乗車した女性が助手席に座ると「見えちゃう」らしい。

車両が完成したあとでそれが判明し、追加した部品が金網だったのだ。

以前、ミゼットの写真集などで知られる写真家の木村信之さんがこんなことを言ってた。

「昔、大阪のキャバレーがホステスの送迎用にロケットバスを使っとりました。店のオーナーいわく、あのバスは女性の脚線美が映えるそうです」。
なるほどそうだったのか。マツダ・ライトバス、いいバスである。

 



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