生産台数わずか44台!!なぜマツダはバスにロータリーを積んだのか?
先進の公害対策が施されたREバス
マツダは1960年代初頭より十数人~二十数人乗りのライトバスを生産・販売しており、いずれも好評で幼稚園や旅館の送迎バスなどにもよく使われた。
1972年にはフルモデルチェンジされ、ガソリン1985㏄/ディーゼル2701㏄の2系統のエンジンを据えた「パークウェイ26」が登場。
併売されていた、キャブオーバートラックのクラフトとシャシーを共用する「クラフト ライトバス(18人乗り)」より大型で、車名の“26”は 最大乗車人数が26人であることを表していた。
なお、幼児専用車は大人3名、幼児39人が乗れる設定だった。
型式TA13Lの同車は全長6195mm、全幅1980mm、全高2295mm、ホイールベースは3285mmだ。
撮影車両はスタンダードに相当するクーラーなしのDX(デラックス)。
現車はドイツに渡っており、国内の走行可能な車両の残存数はゼロだ。
2年後の1974年7月、このパークウェイになんとロータリーエンジン搭載モデルが追加された。
その名も「パークウェイロータリー26」。このころのマツダ車は車名が長い傾向にあったが、
REライトバスもその例に漏れなかった。
シャシーとボディはガソリン/ディーゼルのパークウェイを基本としつつ、
ルーチェAPの新設計13Bロータリーをアレンジしてフロア下に搭載。4速マニュアルミッションながら、
流体カップリングの“トルクグライド”を組み合わせ、スムーズな走行を可能としていた。
AP=アンチポリューション仕様の13Bを運転席付近のフロア下に搭載。
排ガス浄化システムは同時期のルーチェに採用のREAPS(リープス)3を基本としつつ、実質はREAPS2とREAPS3の混成だった。
ミッションはタイタン・ディーゼル(EXB43S)の5速をベースに、4速化したものを採用。
減速比は1速5.376、2速2.608、3速1.693、4速1.000で1速のみノンシンクロ。
消音装置は中央のメインサイレンサーのほか、プリサイレンサー、アフターサイレンサーの3段階として極めて静粛な走行を実現した。デフは減速比6.667のタイタンと共通品。
AP車の証として、当時のマツダRE車は四角いマフラーエンドを採用していた。
70L容量の燃料タンクをダブルで装備。実用燃費はお察しといったところだ。
クーラー付き車ではクーラー用エンジンのタンクも兼ねるため、さらに燃費は悪化する。
ダッシュボード上に追加された8000rpmスケールのタコメーターがスパルタンな印象。
マニュアルのコラム4速ながら、トルクグライドを採用したためPレンジがあり、停車時に入れるとミッションのメインシャフトが機械的にロックされる。
Pレンジ以外でイグニッションキーをOFFにするとブザーが鳴る安全装置も付く。
しかしなぜ、マツダはこんなバスを作ったのだろうか。
この時代は世界的に公害が社会問題となり、世は排ガス規制の方向へ急激に舵を切っていた。
代表例としてまず、アメリカのマスキー法が挙げられる。これに対応し、マツダはAP仕様のRE(RX-4=ルーチェに搭載)で1973年2月にマスキー法をクリア。
これはホンダの公害対策エンジンCVCCに続く快挙であり、既存のガソリンエンジンの改良では困難と言われた厳しい規制を、REで乗り越えたことに大いなる意義があった。
マツダはパークウェイロータリー26を突然の思いつきで作ったのではない。RE実用化の直後からこのエンジンの可能性を図るべく、各種ボディへの搭載を画策。1971年には同社製ライトバスのA型をベースにREバスを仕立てていた。エンジンはルーチェロータリークーペの13A(655cc×2)をベースにし、完成した車両を広島県庁に納入。正式なカタログモデルではなかったが、これが世界初のロータリーバスとなったのである。写真はやや不鮮明なものの、グリルにはルーチェ用と思われるローターをかたどっだバッジが装着されている。最高出力126ps、最大トルク17.5kgm。
この先進の“無公害”エンジンをバスにも採用することで、パークウェイロータリー26は「世界初の公害対策バス」の称号を得たのである。同車の専用カタログでは、「あのコスモスポーツの誕生にもまさる大きな意味を持っています」とまで堂々うたっている。
車内寸法は幅1760mm、高さ1510mmで大人が立って歩くことはできない。前後の長さは5380mmで、クーラー付き車は後部ベンチシートがなくなるため4670mmと短くなる。