スーパーカーという言葉はミウラなくして語れない
スーパーカーという言葉はミウラなくして語れない
このクルマなくして後のスーパースポーツは生まれなかったと言えるほど、周囲に与えた影響は絶大だった。
12気筒エンジンを車体中央にミッドシップしたミウラは、オーナーによれば、長く乗れるスーパーカーでもあるようだ。
30年以上乗り続ける
市販車にレーシングカーと同じミッドシップレイアウトを採用したのは、フランスのルネ・ボネ・ジェットが世界初。
だがジェットはリヤエンジンのルノー8用1ℓのパワーユニットを転用したにすぎず、商業的にも成功したとは言い難い。
これが1962年のこと。
それから3年後のトリノショーにベアシャーシのみで展示され、66年に発売されたのがミウラだ。
ジェットと違いV12エンジンを横置きしてまで実現した大排気量ミッドシップ。
スーパースポーツカーの世界観は一変した。
ミウラがなければ後のカウンタック、そしてフェラーリBBも生まれ得ず、まさに時代を変革したのだ。
スーパーカーブームが巻き起こった当時、すでに20歳で分別ある大人だった大和田裕さんだから、やはり見る目が違ったのだろう。
子供たちがカウンタックかBBかと言い争っているころ、密かにミウラへの思いを募らせていた。
実家が茨城県で製麺業を営んでいたため、それなりに余裕があったことは確かだろう。
だが若い大和田さんにミウラは荷が重かったのも間違いない。
なんとか資金を貯めて買ったのは、同じミッドシップでも排気量は半分にも満たないロータス・ヨーロッパ。
これでハンドリングを大いに楽しんだかと思えば、そうでもなかった。
「なにしろ手がかかりました。買って1年で修理代が50万円を超えるほど。
さすがにこれを続けているくらいなら買い替えた方が─」と業を煮やしていたようだ。
それだけ壊れるので懇意にする修理工場にも足繁く通う。するとある時、工場にミウラが入庫していた。
目の前にするミウラの圧倒的迫力に、ヨーロッパでモヤモヤする気持ちへの踏ん切りがついた。
ヨーロッパを手放しミウラを買う算段を始めた。それが80年頃のこと。
当時すでにブームは収束しており、古くなったスーパーカーは軒並み相場を下げていた。
今では億の声が聞こえるミウラだが、その当時はショップに流通するような台数もなく相場もない。
個人売買が中心で、その金額は数百万円だった。
ここで喜びは頂点に達したかに思えるが、そう簡単には済まなかった。
年数を経た当時のスーパーカーがどのような状態だったか。
今と違ってキチンとメンテナンスできる業者も少なく、ほとんどが乗りっぱなしの状態と言っていい。
傷んだボディもミウラの魅力を半減させている。そこで思い切って全塗装を含む重整備を敢行することとなったのだ。
だが、結果的にこれがよかったのだろう。実家の製麺業は大和田さんが34歳の時までで、それ以降はサラリーマンに転向されたが、
その給料で維持できたほど大掛かりな修理を必要としなかったのだから。
FRのごときロングノーズ・ショートデッキ
350馬力のP400から385馬力のP400SVへ
実業家のフェルッチオ・ランボルギーニが自動車メーカーを興したのが1963年。
翌年にV12エンジンをFR方式で搭載する350GTを発売し、66年には排気量を3929㏄へ拡大した400GTへと進化する。
このエンジンを車体中央に横置きするシャーシを同年のジュネーブショーに展示して大評判となったことでミウラは生まれた。
マルチェロ・ガンディーニがデザインした流麗なボディを被せたP400は、67年3月に1号車を販売。
当初は展示用と考えられていたシャーシなので日々進化を遂げ、
68年に350馬力から370馬力へパワーアップしたP400S、71年に385psとなるP400SVへ発展していく。
外観の変化は少ないが、P400SVでは特徴的なヘッドライト周囲の通称「まつげ」と呼ばれるフィンがなくなりリヤフェンダーが広げられた。
ランボルギーニの技術者ボブ・ウォレスがレース用にモディファイしたイオタも有名だが、
実車は焼失しており、SVJという外観を似せたモデルが5台だけ製作された。
400GTと同じ3929㏄のV12ユニットだが、横置きとするためミッションをエンジン下に2階建て方式で配置。
マフラーエンド部はフードに固定されている。
フロントフード内側にはヘッドライト周囲と同じ意匠のフィンがあり、右を持ち上げると給油口が現れる。
テールエンドはフードの内側をくり抜いたような形状。ダックテール効果が得られる。
ドアに設けられたエアインテーク。ドアハンドルはフィンと同型状。
アッパーAアーム支持部より奥まった位置にマウントされるショックユニットがレーシングカー譲りの設計であることを物語る。
シートはヘッドレスト別体式のバケットタイプ。
点灯時に起きるヘッドライト。
逆アリゲーター方式のフロントフードを開くとフレームがむき出しに。
先進的なダブルウイッシュボーンサスペンションだが整備性は良好。
高性能をシンプルに表現するスピードメーター。
40㎞ /h以下は表示されず、180㎞ /hが目盛りの頂点という仕様がクルマの性格を暗示。
350馬力のP400から385馬力のP400SVへ
実業家のフェルッチオ・ランボルギーニが自動車メーカーを興したのが1963年。
翌年にV12エンジンをFR方式で搭載する350GTを発売し、66年には排気量を3929㏄へ拡大した400GTへと進化する。
このエンジンを車体中央に横置きするシャーシを同年のジュネーブショーに展示して大評判となったことでミウラは生まれた。
マルチェロ・ガンディーニがデザインした流麗なボディを被せたP400は、67年3月に1号車を販売。
当初は展示用と考えられていたシャーシなので日々進化を遂げ、68年に350馬力から370馬力へパワーアップしたP400S、71年に385psとなるP400SVへ発展していく。
外観の変化は少ないが、P400SVでは特徴的なヘッドライト周囲の通称「まつげ」と呼ばれるフィンがなくなりリヤフェンダーが広げられた。
ランボルギーニの技術者ボブ・ウォレスがレース用にモディファイしたイオタも有名だが、実車は焼失しており、SVJという外観を似せたモデルが5台だけ製作された。
400GTと同じ3929㏄のV12ユニットだが、横置きとするためミッションをエンジン下に2階建て方式で配置。
マフラーエンド部はフードに固定されている。
フロントフード内側にはヘッドライト周囲と同じ意匠のフィンがあり、右を持ち上げると給油口が現れる。